NOROBUSHI

ナウでヤングな40代おやじの独り言

通信簿

若かりし頃、結構いろいろな本を読みあさった時期があった。

心理学とか自己啓発的な本が多かった。

 

そんな本の中で、いまでも覚えている事がある。

 

「九割の水が入ったコップがある。

水が九割入っている事に着目するのか、それとも入っていない一割に着目するのか。」

 

「100人の人を前に講演会を行い、90人の人が良かったと言ってくれました。

90人もの人が良かったと言ってくれた事に満足するのか、それとも良かったと言ってくれなかった10人にばかり気をとられてしまうのか。

そして現実ではこの10人にばかり気をとられてしまう人が実に多い。90人もの人が良かったと言ってくれているのに、僅か10人に気をとられてしまい本来大成功である事を見失ってしまう。」

 

確かそんな内容だったと思うが、この考え方が結構今でも自分の基本なところにある。

 

要は、90%もうまくいっていれば立派な成功と呼べる部類に入るのに、何故僅か10%の悪かったところばかりを見てしまうのか、

本来の成功である90%をしっかり評価しましょうよ。

完全主義となるとまた話は変わってきてしまうのだが、本来最も捉えなければならない事は何なのか、良かった事は良かったとしっかり認めて褒めてあげましょう。

極論、片方はプラス思考、もう片方はマイナス思考に行き着く。

 

という前置きを経て。

 

子供たちの通信簿を見た。

「大変よくできました」

「よくできました」

「がんばりましょう」

の3段階評価。

 

基本甘めの評価だろう、「大変よくできました」がかなり多い。

 

そう、「大変よくできました」のほうが圧倒的に多いのに、

何故少数の「よくできました」やもっと少数の「がんばりましょう」のほうを見てしまうのか?

 

「大変よくできました」の項目を褒めてあげるべきなのである。

そう理屈では分かっていても、やはり「よくできました」「がんばりましょう」のほうばかりに目が行ってしまう。

全てを「大変よくできました」にしたいのか?

それは単なる親のエゴであろう。

 

「大変よくできました」を褒める事によって、きっと自然に他の項目も良くなるのではないだろうか?

 

褒めて伸ばすという事は、きっと簡単な事だろうけどなかなか自然には実践出来ないのだろう。

邪魔するものは親のエゴであろう。

 

意識して、褒める事を行っていきたい。