NOROBUSHI

ナウでヤングな40代おやじの独り言

箱根駅伝に燃えた男のある物語

箱根駅伝

この季節になると、俺はいつもある一人の男の事を思い出す。


その男とは、高校時代陸上部のいっこ上の先輩だ。

中長距離に属していた俺は、いつもその先輩と練習をともにしていた。

その先輩は、特に秀でて速かった訳でもないし、ましてイケメンであったわけでもない。
(ただし、エロに関しては超一流であった。稲中卓球部で言えば、田中のようなムッツリであった。)

 

引退後、高校時代何の戦績も残していないその先輩は言った。

「俺は箱根駅伝に出たい」

多分そんなに学業成績の良くなかったであろうその先輩は、箱根駅伝に出たいというその一念のみで猛勉強を始めた。

箱根駅伝常連大学に入学する為だけである。

現実的に、己の学力で届きそうな箱根駅伝常連大学に目標を定めた。 

 

結果は不合格。

 

滑り止めの大学には受かっていたらしいが、箱根駅伝への道を選択し、浪人。


1年後、猛勉強の甲斐あり志望大学に合格。

そして、念願の陸上部に入部したのであった。


余談ではあるが、翌年俺も浪人生活を送っていた時の正月。
その、先輩から年賀状が届いた。

合計5枚。。。

細かな字で、受験に対するアドバイスが事細かに書かれていた。


そんな面倒見のいい先輩であったが、結局陸上部に所属した4年間で箱根駅伝のメンバーに選ばれる事はなかった。
残酷ではあるが、それが現実の世界。
理想や夢だけではどうにもならない事もある。
でも、真意は分からないが、その先輩はきっと充実していたのではないかと思ったりもする。

 


それから数年がたち、俺も社会の一員として働いていた。

浦和にある居酒屋の新店に店長として赴任したある日の事。

 

たまたま休みの日に、埼玉新聞の記者が取材に訪れていたらしく、名刺が残されていた。

 

そう、その名刺に書かれていた名は、その先輩の名前であった。

 

あの時の衝撃を、今でも忘れる事はない。


その名刺を見た俺は、すぐさま歩いて埼玉新聞社へ向かった。

 

しかし、不在で会えず。

 

その後、連絡が取れてその先輩と会えて飲みに行ったような気もするが、実際のところは覚えていないのである。

こんな大事な事なのに。

 

箱根駅伝に人生をかけた男がいた。


しかし、それで終わりではないはずだ。


俺が走り続ける事を諦めない限り、いつの日か再会の時が来るであろう事を願っている。


そして、信じている。